《 シュテフィー・グラフ 》

Steffi Graf'

1969年6月14日、ドイツ・ブリュール生まれ。

身長175cm、体重59kg、右利き。

'82年10月18日、フィルダーシュタットでプロデビュー(13歳)。

'86年4月13日、ファミリー・サークル・カップで初優勝。

'87年6月5日、全仏で四大大会の初優勝。

WTAツアー優勝107回(歴代1位)

四大大会優勝22回(全豪4回、全仏6回、ウィンブルドン7回、全米5回)は歴代2位。

'87年8月に初めてWTAランキング1位に輝き、

'91年3月までの連続186週(歴代1位)を含め、

WTAランキング1位通算337週(歴代1位)を樹立。

'88年には、ソウル五輪を制し、四大大会優勝とあわせて前人未到の5冠を達成。

華麗さと力強さを持った'90年代を象徴する偉大なプレイヤーである。

1999年のスポーツに関する重大ニュースは、

福岡ダイエーホークスの優勝とテニス界の女王、グラフの引退であった。

もちろん、私にとって。

いつかはこんな日が来るとは予想していたものの、寂しさは隠しきれない。

私がグラフを初めて意識したのは、

'87年の全米オープン・ファイナルでナブラチロワと対戦した時だった。

試合の内容もさる事ながら、

試合に敗れて母親の胸で号泣していたグラフを良く覚えている。

グラフのテニスは女王の名に相応しいテニス。

試合中の「インターバルなんか不要」とでも言いたそうな速いポジショニングは、

観ていて気持ち良かったし、彼女のテニスに気品を与えていた。

得意のフォアから打ち出す強烈なショット、他の追随を許さない程キレの良いスライス。

ラリー中のショット・セレクションも見事としか言い様がないほど素晴らしかった。

「ナブラチロワの攻撃性とクリス・エバートの守備の完璧さ。

この二人の長所だけを取り入れた選手になるのが夢…。」

そう語っていた彼女は、夢を実現したのではないだろうか?

'88年に四大大会制覇の年間グランドスラムを達成しソウル五輪まで制した彼女は、

史上初の『ゴールデンスラマー』となる。グラフが一番強かった時かなぁ。

翌年彗星のように現れた「モニカ・セレス」は、彼女の生涯のライバルであった。

セレスに女王の座をおわれたグラフは、

元来からの課題であった「バックハンドのトップスピン」をマスターするべく奮起する。

だが、本来の武器であったスライスが以前のような威力を発揮しなくなる。

グラフの低迷期。

しかし、その時期に出会ったグンタートコーチの指導により、

ストロークのバリエーションを増やす事よりも、

本来の自分のテニスを取り戻す事の方が大切だと悟るのである。

復活の兆しを見せ始めていたグラフであったが、

そんな時”あの事件”は起こる。

'93年4月30日、ドイツのハンブルグの大会で

セレスがグラフのファンに背中を刺され、重傷を負う。

二人の気持ちを推し測るとき、やりきれなくなるのは私だけだろうか?

(その時の事を少しだけ『TENNIS@』に書いてます。)

セレスが復帰するまでの2年余りの間、

サンチェスに2週間だけ女王の座を奪われるものの、

グラフはその位置を死守し続けた。

勝ち続ける事がセレスへの謝罪と言わんばかりに。

'95年の全米オープンで待ちに待った時が訪れる。

ファイナルで顔を合わせる事となったグラフとセレス。

二人は、ボールを打ち合う事で心に持ち続けたわだかまりを

解き放して行くかのように接戦を繰り広げる。

結果は、7-6/0-6/6-3 セットカウント2:1(試合時間3時間4分)

グラフの勝利であった。試合後の彼女達の笑顔が忘れられない。

いくつもの”故障”を抱えながらも、女王の座を守り続けていたグラフであったが、

'97年、「マルチナ・ヒンギス」にトップの座を奪われる。

この時すでに、左膝の故障で闘えるような状態ではなかったらしい。

同年の全仏で格下の「アマンダ・コッツァー」に惨敗した彼女は、

直後に左膝の緊急手術を受ける。

世間が”グラフ引退”を囁き始めたのはこの頃の事。

(私は「しない」と思ったけど(^^;)

だが彼女は不屈の精神で、8ヶ月間を治療とリハビリに費やし翌年ツアーに復帰する。

その後の1年間、グランドスラムのタイトルは一つも取れなかったが、

グラフはテニスを楽しんでいるように見えた。

'99年、ランキングは随分下がったものの、

二つの大会に優勝するなどで9位にまで戻し、全仏に臨んだ。

当初彼女は、クレーコートの全仏よりも、グラスコートのウィンブルドンに重きを置いていて、

全仏はその前哨戦のつもりだったと聞く。

それが、ランキング上位の選手を次々と敗り、ファイナルまで進んでしまう。

”引退”どころか、完全なる復活である。

先日wowowで、グラフの引退記念番組として、『さようなら グラフ』と題し

'99年全仏ファイナルの模様がノーカットで放送された。

気品漂う元女王グラフと、若い18歳の現女王ヒンギスの歴史に残る闘いの記録だ。

(ビデオ収録しました、もちろん!)

1999年6月5日、ローランギャロスの表彰台で優勝カップを高々と掲げ、

観客の声援に涙ぐみながら応えていたグラフ。

何度観ても泣けてしまう。

これがグランドスラム大会最後のタイトルになろうとは、誰が予想しただろう。

その後のウィンブルドンでは、決勝で「リンゼイ・ダベンポート」には敗れたものの、準優勝の盾を手にする。

誰もがグラフの完全復活を信じ、全米オープンを心待ちにしていた矢先。

同年8月13日引退を発表。

私はテニスのトーナメントツアーから引退することを発表します。

なぜなら生まれて初めてテニスに対する喜びを失ってしまったからです。

この事は私にとってとても不思議な感覚でした。

今までこんな気持ちになった事は全くなかったんです。

先日サンディエゴに行った時、もうツアーに参加するために

これ以上飛行機に乗る気がしないと思っている事に気づきました。

そしてテニスに対する情熱がなくなっていると確信したのです。

決心は信じられないほど簡単でした。簡単すぎるほどです。

私の家族、友人、コーチ、トレーニングパートナー 

これまで私を支えてくれた全ての人達に

できる限りのことをしたいと思います。

そして応援して頂いたファンの皆さんには、心から感謝しています。

沢山のカメラの前でテーブルに並んだ夥しい数のマイクに向かって

グラフが記者会見で述べた言葉である。

心情を吐露する彼女の目に涙はなかった。

私はグラフの試合を直に観た事が一度だけある。

打球の速さに驚き、きびきびした身のこなしに惚れた(笑)。

今年2月に大阪城ホールにおいて、

グラフの引退記念試合として「伊達公子」との試合が予定されている。

朝一に電話したのにプレイガイドに電話繋がらず…。

チケット取れなかった(ToT)

余ってる方ありましたら、ご連絡下さい。

定価で買い取らせて頂きます(^-^)ニコ

シュテフィー、もう電波少年で松村の背中に乗るような事はしないでね!(爆)

お疲れ様でした、そして、夢をありがとう。m(__)m

(01/02/00)


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